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横浜の古道を歩く 柏尾通り大山道その1 ―阿久和川沿い編―

横浜の古道を歩く 柏尾通り大山道その1 ―阿久和川沿い編―

ココがキニナル!

市内に残る「古道」を調べていただけませんか?「えっ!普段歩くこの道が?」「こんな崖っぷちの道が?」など。家の裏の小道が昔は重要な街道だったとか、凄く浪漫があります。(よこはまうまれさん)

はまれぽ調査結果!

一筋の道をコツコツ歩く古道シリーズの第三弾! 今回は庶民の信仰への思いが形になった代表的な街道「大山道」の1本を、その起点から横浜市内の終点までたどる。第1回の中心は阿久和川沿いの道だ。

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ライター:結城靖博


大山道とは、なにか?





伊勢原市北西端、丹沢山塊の南東部に「大山(おおやま)」がある。標高は1253メートル。
険しくそそり立つ山ではないが、横浜市内から富士山を眺めようとすると、たいがいその右手に寄り添うようになだらかな山容を目にする。

下の写真はいつの時代か不明だが、あまりにも典型的な景色なので紹介する。薄っすらと富士山と大山が見える。ちなみに撮影場所の大正村は、現在の戸塚区原宿付近。同地が鎌倉郡から横浜市戸塚区になったのは1939(昭和14)年のことだ。


「相州鎌倉郡大正村 湘南軽井沢ヨリ眺メタル大山ト富士」(横浜市中央図書館所蔵)


大山は古くから雨乞いに霊験あらたかな山として信仰の対象になっていた。別名「雨降山(あふりやま)」とも称し、山頂には「阿夫利神社(あふりじんじゃ)」が建ち、五穀豊穣の神として崇められた。

江戸時代に入り世の中が安定すると、関東一円に「大山講」が組織され、多くの民衆が集団で「大山詣り」に向かう。始まりは定かではないが、「富士講」よりも早かったと推測されている。
 

横浜市と大山と富士山の位置関係


「大山詣り」を行うと盆・暮れの借金返済を半年延ばしてくれたという。そんな現実的なご利益もあって、大山講の道筋はこの山を中心に関東全域へ放射状に広がっていく。江戸市中はもちろん、甲州方面、湘南方面からも・・・。主な街道だけでも8本にのぼり、その道すべてが「大山道」と呼ばれていた。

今回の「柏尾(かしお)通り大山道」は、その8本のうちのひとつだ。


歌川広重筆「東海道五拾三次之内 戸塚 元町別道」(横浜市中央図書館所蔵)


上は広重が描いた有名な東海道戸塚宿柏尾川付近の浮世絵だが、よく見ると画面左上、「こめや」の軒下に「大山講中」の木札が下がっている。東海道と柏尾川が交差する場所に位置するこの旅籠にも、大山講の人々が常宿していたことがわかる。

この場所、吉田大橋と今回の古道歩きの始点は、そう遠くない。



スタート地点は東海道の不動坂




柏尾通り大山道は、古道シリーズ第1弾「東海道 その4」にも登場した戸塚区・不動坂近くから始まる。今回の主役は、この付近から東海道を脇に逸れ、ほぼ西へ西へと進む。


柏尾通り大山道の全行程(© OpenStreetMap contributors)


終点は横浜市西端の境川(さかいがわ)だ。川向うは藤沢市。街道そのものの総距離は8kmにも満たない。サッサカ歩けば2時間もかからないかもしれない。

だが、実際にはそうはいかない。そのわけは、この先のレポートを読んでいいただければわかるだろう。


スタート地点近くの不動坂交差点前


さすが国道1号線、車がいっぱいだ。国道はここで二手に分かれ、右が吉田茂首相の号令でできたワンマン道路、左が本来の国道1号線。
取材した日は梅雨の真っ直中で、空はどんよりと不穏な気配・・・。この雰囲気に乗じて、初めに、昔この付近で起きた「大山講」にまつわるちょっと禍々しい事件について書き留めておこう。

事件の名は「戸塚の血の雨」。名前を聞いただけでギョッとする。
下は1909(明治42)年に発行された文献に記載された事件についてのあらましだ(記事は掲載図版の265頁から3頁に及ぶ)。


『横浜開港側面史』p.265(横浜市中央図書館所蔵)


概説すると、時は1872~73(明治5~6)年。この辺りで大山詣りから帰る東京の石屋連と横浜の洋服裁縫屋連が大喧嘩を始める。きっかけはなんともたわいなく、150台の人力車に乗った東京組と40挺の駕籠に乗った横浜組がレース状態となり、この近辺の坂道で人力車が転覆したことが原因。

だが争いは七日七晩続き、大乱闘の末、なんと多数の死者すら出たという。
宗教的な行為であるはずの「大山講」の裏には、実はこんな出来事もあったという挿話だ。

出だしからいきなり物騒な話題になってしまったが、ここから先はどんどんのどかな世界になっていくので、ご安心あれ。



さあ、いよいよ出発だ!




東海道(国道1号線)と柏尾通り大山道との分岐点は、不動坂交差点の保土ケ谷寄り少し手前にある。


交差点との距離は100メートルほど(© OpenStreetMap contributors)



分岐点の戸塚寄りから保土ケ谷方面を望む。画面右側が国道1号線だ


分岐点には、「東海道その4」でも紹介した通り「柏尾の大山道入口」の看板と標柱がある。


分岐点の保土ケ谷寄りから戸塚方面を望む。画面右側が柏尾通り大山道


分岐点の三角地帯ではちょうど何かの工事中で、地面が大きく掘り返されていた。
まあ、それはともかく・・・


大山道はなだらかな下り坂から始まる


この坂の途中で、さっそく重要なポイントに遭遇する。


右側に佇む立派なお堂。不動坂の名の由来でもある柏尾追分不動尊(大山不動尊)だ


正確な年記は不明だが、大山詣りが盛んだった時代に、参拝者の無事と安全を祈願して建てられた。

お堂の周りには、右側に建つ大きな「従是大山道」の道標のほかに、全部で4基の道標と庚申塔・灯籠各1基が配されている。明治以降ここに集められたそうだが、その多くは江戸時代前・中期の作だ。


左の道標は1670(寛文10)年、右の庚申塔は1680(延宝8)年造立



いっぽう一番目立つこの道標がもっとも新しい。と言っても1872(明治5)年の作だ



お堂には取材時、こんなありがたいものが掲げられていた


「コロナを退治する不動明王護符」。「ご自由にお取り下さい」と書かれている下のクリアファイルから1枚、筆者も謹んでいただくことにした。
そして、この先の古道歩きの無事と安全を祈念したのち、不動尊をあとにする。


100メートルあまりで坂は終わり、狭い道を進む



まもなく頭上に陸橋が横断する地点へ


不動坂交差点から瀬谷方面へ続く瀬谷(せや)柏尾道路の起点、「大山跨線橋(こせんきょう)」だ。


いったん橋をくぐってから、右手の階段を上ると



橋の上に到達する


大山道はここから右へ続く。もちろんこの道が大山道であった頃、この跨線橋も


橋の下の東海道線もなかったわけだが



跨線橋から見下ろす平戸永谷川(ひらどながやがわ)の眺めは、なかなか良い



橋の終点、大山跨線橋北側交差点付近


写真正面奥に伸びる瀬谷方面へ、ずんずんと歩く。


するとすぐ、左手に3基の石柱が建つ橋に遭遇


富士橋交差点だ。


右端の石柱は橋の由来についての案内板だった


昔この橋は「猿橋」と呼ばれていたという。左の2基は旧富士橋の親柱。その伝説の詳細については、案内板に書かれている通りだ。


橋上からの阿久和川(あくわがわ)の眺め。この川も良い感じだ



富士橋を渡ると、すぐに横浜新道と交錯する



横浜新道の下をくぐってその先へ進む


写真右手は横浜新道の「上矢部(かみやべ)IC」入口、左手は大山道(瀬谷柏尾道路)。


瀬谷柏尾道路はその先片側一車線の狭い道が続き、やたらと交通量が多い



これに辟易した筆者、左角にスーパー・OKがある「かもめ橋交差点」で道を逸れる


瀬谷柏尾道路の右手には、阿久和川が並行して流れている。そして川沿いには遊歩道が敷かれている。そもそも近世の大山道に現在の瀬谷柏尾道路はなかったのだから、阿久和川沿いの遊歩道を歩いても大きな違いはないだろう。


というわけで、かもめ橋交差点を右折(画面右の木が茂る辺りが、かもめ橋)



阿久和川に架かるかもめ橋



橋のたもとに案内板があった



これが川沿いに整備された遊歩道


スタート地点からかもめ橋までの行程距離は1kmちょっと。脇目もふらずに歩けば、15分もかからない。


© OpenStreetMap contributors)




ほっこりする川沿いの遊歩道をルンルン歩く




阿久和川沿いの道は快適な散策コースだった。


かもめ橋から望む阿久和川


川そのものも、河畔の環境がよく整えられ、可愛らしい里の小川という感じだ。


遊歩道沿いに設置された案内板



すぐ隣りには車がビュンビュン走る瀬谷柏尾道路が通っているのに


とてもそうとは思えない、心癒される小道だ。


歩道は通学路にもなっている。確かにこの道なら安心だね



川べりでお弁当を広げるサラリーマンの姿になごんだり



野に咲く花を愛でたりしながら歩いていくと



いつのまにか空から陽射しも差してきた


ルンルン気分の川沿いの散策を楽しんでいると、


やがて「五軒橋(ごけんばし)」という名の橋に到着



そばの案内板に橋の名の由来が書かれていた


鎌倉時代に幕府へ刀を献上するほどの名工が住んでいたことから、この辺りは「御剣村」と名付けられ、それがいつしかこの字に転じたそうな。

ひとつ豆知識を得たところで、名残り惜しいが、素敵な遊歩道をあとにすることに。


遊歩道沿いすぐ左手に見える瀬谷柏尾道路へ移動する



なぜならこの道路の数十メートル先に



泉区との区境を示す標識があるからだ


かもめ橋から区境までは約800メートル。徒歩わずか10分ほどだが、素敵なお散歩タイムを味わった。


© OpenStreetMap contributors)




泉区へ入ると寄り道三昧が始まる




泉区に入った途端に寄り道が多くなる。それというのも、最初に足を踏み入れた岡津町(おかつちょう)が、かつて代官所(岡津陣屋)が置かれていた古い歴史を有する土地だからだ。ゆえに寺社も多く、石塔などの史跡も多く点在する。


区境を越えて60メートルほどで岡津町の交差点に至る


大山道は上の写真左奥を直進するのだが、ここでさっそく寄り道をひとつ。


交差点を左折するとなだらかな上り坂が続く



400メートルほどで「岡津町観音谷(かんのんやと)」という信号に遭遇



その手前右手の「普光寺(ふこうじ)」が目的の場所だ



参道の途中に「天神社(てんじんしゃ)」という小さな社があるが

それを右手に見て進むと、


普光寺の境内に突き当たる



ここは高野山真言宗のお寺で「四国八十八カ所御砂踏み霊場」がある


八十八カ所の砂を集めたサークルを踏んで回れば、四国巡礼と同じ効能を得られるというありがたいパワースポットだ。
いっぽうこれとは別に、どうしても紹介しておきたかったのが下の光景だ。


御砂踏み霊場の隣りに、なぜかゴジラがいる


古道歩きの取材のおかげでずいぶんいろいろな寺社を訪ねてきたが、さすがに境内にゴジラがいるのを見たのは初めてだった。

普光寺には、大山詣りと直接関連する事物はない。御砂踏み霊場とゴジラを見たところで、元の岡津町交差点に引き返した。


岡津町交差点に戻って大山道を再び西へ進む


なおも阿久和川と並行して続く瀬谷柏尾道路は、泉区に入るとにわかに交通量が減る印象がある。


100メートル足らずで次の交差点・岡津町電話局前に到着


ここでまた寄り道をする。今度は右折だ。


曲がってすぐ、伊勢堰橋(いせぜきばし)という橋がある



橋を渡ると道は上り坂となり



右にカープしながら上りきったところで、大きな道路と交差する


横たわる道路は10年ほど前に新しくできた中田さちが丘線。左を行くと緑園都市に通じる。正面の道をまっすぐ行くと戸塚区名瀬町(なせちょう)へ至る。

今度の目的地は、この2本の道にはさまれた三角丘陵地帯。こんもり木々が茂る、その頂だ。道路を渡って左に回り、階段を上るしかないようだ。


近くまで行ってみると、なかなか昇り甲斐のある階段だった(涙)



気合を入れて上っていくと、いったん左に折れて、さらに階段は続く

だが頂上に、赤い鳥居がちらりと見えてきた。


上りきるとこんな感じ



鳥居の奥の祠がシブい


この人知れずひっそりと建つ稲荷社も魅力的なのだが、息を切らしてここまで来た目的は、鳥居の左右に置かれた石塔にある。


左の石塔は道祖神。年記は不明だが、風化した像から相当な歳月を感じる



そして右は庚申塔を兼ねた道標


右面に「大山道 下講中」とあり、左面に1796(寛政8)年の年記が刻まれている。
小さな石塔だが、これぞまごうことなき大山道つながりの史跡だ。


階段上段からは、かつて岡津陣屋があった辺りが一望できる


さて、引き続き寄り道が続く。次なる目的地は、その「岡津陣屋」の跡地だ。

三角丘陵地のふもとの交差点まで戻って大山道側を望むと、坂道右下の側道沿いに小さな商店がある。


地図では「横山酒店」と表記されていたが、中を覗くと食料品なども売られていた


近くに商店らしき建物はここだけなので、わかりやすい。


店の横の脇道を右に入ってずんずん行くと



やがて森が見えてくる



その森の中に、立派な神社が現れた


ここは三嶋神社。村社ながら奈良時代の文献にも記録が残る古い神社だ。


境内には江戸時代初期、岡津陣屋の代官頭だった彦坂元正(ひこさか・もとまさ)の屋敷があったという



鳥居から境内の外を振り返ると、岡津小学校のグラウンドが見える


この小学校のグラウンド付近が、かつての岡津陣屋があった辺りで、昔はこのグラウンドの中を突っ切って大山道まで参道が伸びていたらしい。

岡津陣屋は、さらにさかのぼると岡津城と呼ばれる後北条氏の城だった。今はのどかな緑園地帯の岡津町周辺が、歴史的に重要な場所だったことがわかる。

そろそろ寄り道から本道に戻ろう。


とはいえかつての参道は小学校のグラウンドで分断されているので



学校の敷地をぐるりと巻くようにして



ようやく大山道(瀬谷柏尾道路)に戻ってきた


上の写真は大山道から三嶋神社側を振り返ったところ。かつてここから参道がまっすぐ伸びていたことがよくわかる。


ふたたび西へ向かって大山道歩きを再開するが



またしても次の信号、白百合団地入口で寄り道のため左折


「またかいな」と思われるかもしれないが、次の場所はぜひ立ち寄りたいところなのだ。


左折して2分ほど歩くと、右手にお寺が見えてきた



浄土宗・西林寺(さいりんじ)だ



西林寺本堂。清楚な美しさだ


なぜこのお寺を訪ねたかったかと言うと、ここには元々、徳川家康に寵愛された側室「お万の方(おまんのかた)」が晩年隠棲した庵があったからだ。

お万の方と言えば、古道シリーズに縁が深い。これで三度目の登場である。
最初は「東海道その3」の保土ケ谷宿・大蓮寺(だいれんじ)境内のザクロの木。この木を植えたのがお万の方と言い伝えられていた。


大蓮寺・お万の方のザクロの木


そして二度目は「東海道その5」の戸塚宿・清源院(せいげんいん)。同寺はお万の方が家康の供養のために創建した寺院だ。


清源院内の「お万の方火葬跡」


家康危篤の報を聞くと、お万の方は隠棲していた岡津から家康のもとに駆けつける。これに感動した家康がお万の方に賜った「歯吹阿弥陀如来像(はふきあみだにょらいぞう)」が、清源院の本尊となった。
歴史は網の目のようにつながっていて、面白い。

いっぽう、西林寺は古道との結びつきも深い。


境内の鐘楼の前に立つ出羽三山供養塔


同じ石塔を左右から撮ったものだが、右面には「かまくら ぐめうじ  江戸 道」、左面には「阿つき ほしのや 八王子 道」と刻されている。
ちなみに「ほしのや道」とは大山道から分岐する古道で、坂東観音札所巡りをする人たちのための道だったという。

目当ての供養塔を確認したところで、また大山道に戻り、さらに阿久和川に沿って西へ向かう。


白百合団地入口を過ぎた辺りから川筋は道路の左側に変わる



事前資料によれば、確かこの近くに双体道祖神があるはずだ


場所は「岡津橋」バス停付近なのだが、なかなか見つからず何度か道を行きつ戻りつする。


と、こんなところにようやく発見!


竹ノ鼻橋付近の道路の向かいに建つ民家の敷地の片隅。上の写真の赤枠の中だが、この写真ではわかりづらいだろう。


このぐらい寄ると、やっとわかるか(矢印の下)



さらにググっと接写


すでにかなり風化が進みお顔は判然としないが、確かに2体仲良く並んでいる。きっと江戸時代も風雪に耐えながら、この路傍で大山詣りの旅人の安全を見守っていたのだろう。


さらにそこから西へ向かって数分歩くと、永明寺(ようめいじ)の看板が見えてくる



瀬谷柏尾道路の左手、不動橋を渡った先の白壁に囲まれた建物が永明寺別院


大山道はついにここで阿久和川に別れを告げ、永明寺を右手に見るこの脇道へ入る。
ここから先は西田谷戸(にしだやと)と呼ばれていた地域で、昔は谷戸田(丘陵地の谷間に開墾された棚田)が広がっていたという。

いっぽう、阿久和川沿いの道は、この先、西林寺で触れた「ほしのや道」に分岐する。


ほしのや道に変わる瀬谷柏尾道路


実は上の写真の黒い車の先にある脇道を右に入ると、かつて大山詣りの人々も立ち寄ったであろう不動堂が隣接する向導寺(こうどうじ)と、泉区内でもっとも形が整っていると言われる富士塚がある。

当然寄り道に向かった筆者だったが、なんと・・・


途中で道が封鎖されていた


黄黒ポールに下がる注意書きによると、不動堂の再建工事のため通行止めとのこと。残念!


仕方がないので近くにあった案内板だけ写真に収める


とにもかくにも、長く続いた阿久和川沿いの道中が終わった。切りのいいこの辺りで、柏尾通り大山道の第1回を締めることとする。

区境から不動橋までの大山道自体の距離はわずか700~800メートル。徒歩10分にも満たない。
だが寄り道だらけのこの区間。実際に歩いた距離は寄り道のほうが長かったことは言うまでもない。そのおかげで、歴史ある岡津町巡りの旅を、たっぷりと堪能させてもらった。


赤いラインが大山道、紫のラインが寄り道(
© OpenStreetMap contributors)


そして不動坂から不動橋まで、つまり柏尾通り大山道前編の全行程は、本道のみで測れば約2.7km。これまた数字で見るとわずかな距離だ。

だが、泉区に入ってからの寄り道三昧には、数時間は見ておきたい。本道と異なりアップダウンも少なくないし、寄り道こそこのエリアの醍醐味なのだから。


© OpenStreetMap contributors)





取材を終えて




戸塚区も泉区も広いので、それぞれ多様な場所があるだろう。だが、こと柏尾通り大山道周辺に限って言えば、戸塚区から泉区に入るとガラッと雰囲気が変わる、という印象が強い。

特に阿久和川沿いの岡津町は、なんとものどかで、落ち着いた地域だ。道端やお寺の境内にひっそり佇む石仏や道標が、実に風景によく溶け込んでいる。あまりに溶け込みすぎて、なかなか見つからなかったところもあるが(笑)。

続編は谷戸を経たのち、パアッと視界が拓ける田園風景の中を歩くことになる。こちらも泉区の魅力が満載だ。乞うご期待を!



―終わり―


取材協力

横浜市中央図書館
住所/横浜市西区老松町1
電話/045-262-0050
開館時間/火~金9:30~20:30、その他9:30~17:00
https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/kyodo-manabi/library/tshokan/central/
※感染症対策のため開館時間や休館日、利用方法などを変更している可能性がございます。詳しくは公式HPをご確認ください。

参考資料

『横浜の古道』横浜市教育委員会文化財課編集・発行(1982年3月刊)
『横浜の古道(資料編)』横浜市文化財総合調査会編集、横浜市教育委員会文化財課発行(1989年3月刊)
『大山道をたずねて』横浜市図書館/横浜郷土研究会発行(1976年3月刊)
『泉区古道散策マップ』泉区生涯学級古道調査研究会作成(2001年1月第2版発行)
『横浜開港側面史』横浜貿易新報社編集・発行(1909年6月刊)

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  • 落語の大山参りが好きなんですが、彼らがどこを歩いていたかよく分かって良かったです!

  • またまたよく歩きましたネ〜

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