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【探訪】足柄の山奥にある埴輪の森の主人とは?!

【探訪】足柄の山奥にある埴輪の森の主人とは?!

ココがキニナル!

埴輪女子って言葉にもビックリしたのに、神奈川県の山奥にそんな埴輪女子を夢中にさせる方がいらっしゃるので取材して下さい(ホトリコさん)

はまれぽ調査結果!

埴輪女子を夢中にさせる山の主(ぬし)は気さくで優しい陶芸家だった。大井松田ICからほど近い松田山の中腹に築かれた別天地で、埴輪制作一千体の修行に励む作家に密着し、作陶体験にもトライ!

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ライター:結城靖博


キニナル投稿には「神奈川県の山奥」というヒントしかなかった謎の人物。これは探し出すのに一苦労と覚悟を決めて調べ始めたら、意外とすぐに発見してしまった。なぜならその人は、すでにテレビの人気旅番組などにも紹介されたことがある方だったからだ。

その人の名は志村正之(しむら・まさゆき)さん。足柄上郡(あしがらかみぐん)の松田山山中に「時光窯(じこうがま)」という窯元を築く陶芸家であった。

時光窯の場所


だが、山奥にこもって制作に耽(ふけ)る芸術家と聞くと、もしやかなり気難しい人ではないかと危惧しつつ連絡を入れる。すると予想に反して、実に気軽に取材の許しをいただくことができた。

というわけで、いよいよ本格的な秋を迎えた10月初旬の某日、東名高速に乗って、一路、大井松田ICへと向かった。



こんなところに埴輪の森があった!




高速を降りると、そこは金太郎の聖地だった。


南足柄市内・竹松交差点に建つ案内塔



竹松交差点近くの道の駅で出迎える金太郎


この「道の駅 足柄・金太郎のふるさと」で、名物の足柄茶そば(税込680円)をいただき腹ごしらえをしてから、いざ「時光窯」へ。


足柄は金太郎とともにお茶の産地としても知られる


道の駅で食事をするため南足柄市内に入ったが、大井松田インターから寄り道せずに直行すれば、目指す時光窯まではわずか10分程度だ。
だが、距離に惑わされて甘く見てはいけなかった。松田山の山中に入ると急に道幅が狭くなり、だんだん「ポツンと一軒家」の気分になってくる。


車は奥深い林道を登っていく



だがやがて視界は、ふと、ひらけ



前方右手奥に建物らしきものが見えてきた



さらに近づくと斜面の先の建物の前には、確かに埴輪や山積みの薪などが



車を止めて建物へ続く小道を登る途中で、さっそく何体かの埴輪がお出迎え



トンボも出迎えてくれた



たどり着いた建物を正面から臨む


まさしくここぞ「埴輪女子を夢中にさせる」場所だと確信する。

左隣りの薪置き場の先に、もう一つ小屋が見えた。


向こうの小屋の前にもたくさんの埴輪たちが並ぶ



近づいて中を覗くと、人の姿を発見


遠慮がちに声をかけると、「はーい、ちょっと待っててね。今、これやっちゃうから」と明るい声が返ってきた。制作中の「時光窯」主人、志村正之さんにちがいない。思いのほか優しい声の響きにホッとする。


だが、土に向き合う眼差しは真剣そのもの




待機中に時光窯周辺をチェック





志村さんの作陶作業が一段落するまでの間、周辺を取材させてもらうことにした。


最初に見た小屋の右手には彼岸花が咲き誇っていた



彼岸花の右手にあった小さな建物、これはトイレのようだ



右手の小屋と薪置き場との間を覗くと奥がひらけていた



近づくと、ここでも埴輪たちが迎える



その左手には窯元の心臓部ともいえる登り窯があった



正面に回り込んで建屋を覗いてみる。迫力満点だ!



時光窯から松田山の眼下を望む


山の斜面に広がるミカン畑の向こうに、ゆったりと酒匂川(さかわがわ)が流れる足柄の市内、その先に連なるのは箱根の嶺か。なんともぜいたくな眺めだ。



埴輪の森の主人が誕生するまで





まもなく、制作の手を休めた志村さんが小屋の外に現れた。

ベンチ風の設えに腰を下ろしたところでカメラを向けると、仕事中の厳しい表情から一転して、突如おどけた ポーズをとってくれた。その旺盛なサービス精神に、こちらの緊張も一気に解ける。


「腕の形が埴輪さんたちと逆ですヨ」


このあと、志村さんの横顔をじっくりと取材することになるのだが、すでにこの1枚の写真から、その人柄が想像できるだろう。

仕事場のほうの小屋に招かれ、お茶を供してくれた志村さん。訊くのは忘れたが、茶碗やお茶菓子を載せた皿はもちろん、木製の盆も手造りにちがいない。あとから聞いた話だが、今見てきた小屋はすべて自分で建てたログハウスだという。そんな彼にとっては、ちょっとした木製調具など、たぶんオチャノコサイサイだ。


さすがご当地の特産品だけにお茶も美味しい


志村さんはこの足柄の地で1963(昭和38)年に生まれ、今年57歳になる。陶芸家になったきっかけは、大学時代の友人との縁。志村さんが通った二松学舎大学は国語の教師を目指す学生が多いが、そのつもりがなかった彼は、愛知出身の大学の友人に進路を相談する。なんとなく粘土で何かを作る仕事をしてみたいと思ったからだった。

すると友人の高校教師だった父親が、愛知県瀬戸市の知り合いの陶芸家を紹介してくれ、その陶房に弟子入りすることになった。

最初の師の名前は寺田康雄(てらだ・やすお)氏。志村さんの陶芸修業は、今の作風とはちょっと異なる瀬戸焼の里から始まったのだ。


現在の志村さんの食器類の作品


だがゼロから陶芸の世界に飛び込んだ志村さんは、そこで自分の経験値のなさを痛感し、1年後、愛知県立窯業専門学校に入り基礎から勉強をし直す。と同時に、並行して寺田氏の陶房での修業も続けていく。

こうして研鑽を重ねるうちに、備前焼こそ自分の肌合いにあうと感じ始め、1991(平成3)年、意を決して岡山県備前市の金重晃介(かねしげ・こうすけ)氏の門を叩く。師は備前焼初の人間国宝・金重陶陽(かねしげ・とうよう)氏の三男だ。

そこで2年間修業したのち、ついに地元足柄に帰り「時光窯(じこうがま)陶房」を立ち上げた。


小屋の中に掲げられた陶房名の額


書は知り合いの書家が揮毫してくれたもの。そしてこの陶房の命名者は、最初の愛知の陶芸家を紹介してくれた友人の父。「時光」の名は、道元禅師(どうげんぜんじ)が弟子に説いた学道の心得に由来する。

帰郷後最初に構えた窯は南足柄市中沼の自宅で、燃料もガスだった。現在の松田山山中に築窯したのは、それから6年後の1999(平成11)年。土地は知り合いに教えられて借り、荒れた土地を自力で整地したという。

だが、ここで最初に築いた窯は今より小さな穴窯(あながま)で、師匠の窯を参考に手探りで造った。そのため基礎が弱く、火を焚くたびに膨張・縮小を繰り返し、天井がしだいにへこんでいってしまった。

いよいよ直さねば、という頃に別の陶芸家が窯を壊すと聞き、レンガをもらい受け、新たな窯を造った。


それが今ある三段の登り窯だ


完成が2010(平成22)年4月。その翌年、新しい窯に火を入れているときに東日本大震災が起こった。「前の窯のままなら潰れていたと思う」と志村さんは言う。

現在、この大きな窯を焚くのは年に一度だけだ。それは薪の量に理由がある。材料は周辺の間伐材や植木屋さん・大工さんからもらう廃材など、さまざまな手段で調達するが、年に1回分しか集められないという。


一年の大半の時間を薪割りに割かれるそうだが


年に一度の窯焚きのときは、昼夜を問わず1週間から10日間ぐらい作業が続く。


窯焚きの時期は1月



このときばかりは仲間にも手伝ってもらう



作品はもちろん埴輪だけではなく、器や皿のほか多岐にわたる


焼き上がった作品は、これまで新年1月と3~4月の春、2回に分けて小屋を展示室にして発表してきた。だが去年から、春の1回だけに変えた。「二度に分けると、どうしても2回目の内容が薄くなるから」という。

年に一度限りの春の展示イベントは、小屋の前の桜と菜の花が満開の時期を選ぶ。この桜並木もまた、ここへ来て2年目にみずからの手で若木を植えたものだ。


会期中は、見ての通り最高のロケーションになる


今年はコロナ禍の影響で時光窯での春の展示会以降何も行っていないというが、普段は外部のギャラリーを兼ねたお店のようなところでも作品を発表している。

そうした活動を通して、徐々に埴輪や土偶をかたどった香炉などの作品が人気を集めるようになってきたという。


こちらは一輪挿し。なんとも可愛らしい




なぜ大きな埴輪を作るようになったのか?




販売用の埴輪や土偶は小振りなものが多いようだが、時光窯の庭先に並ぶ埴輪は大きなものが目立つ。


一体一体個性的な埴輪たち


これらの埴輪は売り物ではない。
「ただ、ここに置いておくための埴輪。それを千体作り上げることを目指しています」

その理由を問うと、「大きな窯を造った。だから大きなものを作りたかった。そして売り物ではない作品としてずっとこの山の中に置いておきたいと思ったとき、たくさんあってもこの場所にしっくりくるもの、それが埴輪だった。ここでなければ別のものを作っていたかもしれない。この場所が埴輪を選ばせたんです」という。

志村さんにとって、どうやらこれは修行であるらしい。「千体埴輪修行」。だから売らない。
「欲がないんですね」と言われることもある。でも、「年に一度の窯焚きで作れるのはせいぜい50体ほど。僕が90歳になったとして、そのとき800体になっていたとする。『そろそろ売りませんか?』と言われても『いや、まだ800体じゃ。千体になるまでは売らん!』と言ったら、そのほうがよっぽど欲深いと思わない?」と笑った。


来年の焼き入れを待つ埴輪たちも笑っている


ちなみに今何体ぐらいあるのか尋ねると、250体弱だという。うん? 年に50体として、早ければあと15年もしたら千体に到達するではないか。
そのときまだ志村さんは70代前半。人生百年時代の道半ばだ。その時期が来たら売ってしまうのかと思ったが、それは冗談であるらしい。



時光窯に突然の来訪者あり




展示会のとき以外にも、時光窯にはしばしば予期せぬ来訪者が現れる。


この日も、お話を伺っている間に二人の女性が山道を登ってきた


二人が小屋までたどり着くと、志村さんは気さくに出迎える。


初めての人にフランクに応対する志村さん



作品を前に丁寧に解説を始めた


その後、小屋の裏の登り窯も見学して戻ってきた女性たちに、声をかけてみた。

二人は地元の方で、知人に教えてもらって見学に来たという。山のふもとの東山北(ひがしやまきた)駅から1時間以上かけて歩いてきた。
「タイムスリップしたみたいで感動したわ。良かった!」と嬉しそうに山を降りていった。

志村さんによれば、午前中にも女性がたった一人で写真を撮りに来たそうだ。


埴輪の森は「来る人拒まず」の世界だった




いよいよ埴輪作りに挑戦!




時光窯では、希望すれば作陶体験もできる。地元の子どもたちを招き、陶芸教室を開くこともある。

「でも子どもたちの中には、とんでもなくちっちゃいものをいくつも作る子がいて、焼くときに困っちゃう。だから最近は『名前を書いてね』とお願いするんです。すると、文字を入れられないほど小さいものは作れなくなる」と志村さんは目を細めて言う。

今回の取材では、美術作家のうてなかよこさんに同行していただき、埴輪作りにチャレンジしてもらった。


まずは志村さんに、こねた粘土を細ひもで適量に切り分けてもらう


土は愛知県の瀬戸系の業者による志村さん専用のものだ。


使用する量はこのぐらい


テニスボールより少し小さめの大きさで、重さは400グラム。その材料代1000円が作陶体験料だ。それ以外はもらわない。「そのかわり、いつ焼けるかわからない」と志村さんは笑う。

これでだいたい10センチぐらいの作品ができるそうだ。

最初に志村さんが制作工程のお手本を見せてくれた。


まず手で押しつぶしながら円形の底を作る。ここで作品の大きさが決まる



底の周辺にひも状の粘土を巻き重ねていく


最初の2本は太めで、上に行くにしたがい形がすぼまるように分量を調整。


ひも作りにもコツがある。「先っぽを基準に太いところを触るように転がす」とか



巻くときは「外側から中に迎えに行くように」という



ついにてっぺんまで到達し、頭に封をする



次にヘラで叩きながら全体の形を整えていく


ペタペタやっているこの工程が、意外と難しいことがあとでわかる。


整った胴体に筒状の棒で目の位置を付ける。まだ穴はあけない



目の位置が決まったら手と鼻を付けていく



接合面には胴体にも付属物にも泥を接着剤として塗る


だんだん志村さんの顔がウキウキしてきた。埴輪も「早く付けてよ」と待っているようだ。


手と鼻が付いたら、先端を泥で濡らした棒で慎重に目と口をあけていく



さらに耳やリボンも付けて



細部の装飾を施し



ハイ、見本完成!



続いてうてなさんの挑戦がスタート



が、ヒモ作りでまずつまずく。なかなか均一の太さにならない



どうにか出来たヒモを巻き付けていくが・・・



だんだん湯呑み茶碗のようになってきている気がする


少しずつ輪郭を小さくしていくのが難しいらしい。


結局、志村さんの手も借りて・・・



やっと頭の穴がふさがった



その後の成型も大変そう。どうしても叩くと、へこんでしまう


「叩くときは下から叩いて」「中の空気を逃さないように」「でっぱったところをへこませ、へこんだところを膨らませるイメージ」と、横から志村さんの指導が入る。

だが胴体が出来てしまえば、そこから先は、うてなさんの作家魂に火がついた。


なんだか楽しげにいろいろと装飾していく



そして最後に底をくり抜く


底は胴体を巻く際の土台としてだけでなく、叩いたとき空気が抜けないようにするためのものでもあった。


底をくり抜いたら、志村さんが小さなロウソクに灯をともした



ロウソクに作品を被せて「やった!キャンドル埴輪の出来上がり!!」


思わず「ガオーッ」という声が聞こえてきそうで埴輪かどうかは定かでないが、なにかの作品が生まれたことは確かなようだ。本人は大満足。
「次の窯焚きは来年の1月末。それまで完成はオアズケね」と志村さんが言った。


こちらは志村さん作のキャンドル土偶(焼き入れ前)




物語にあふれた小屋の中のひととき




うてなさんの作品がうまく焼き上がることを祈りながら仕事場の小屋を離れた後、3人で右手の小屋へ向かう。


ここは展示室兼窯焚き時の合宿所を兼ねている



小屋の中には抽象的な創作作品もあれば



実用的な陶器類も置かれている


だが小屋に入って最初に目に飛び込んできたのは――


この大きな一木造りのテーブルと



デンと据えられたホーローのストーブだった


テーブルは材木屋さんから、ストーブは知人のお店から引き取ったという。
どちらもいかにも重そうだが、「重たいものの質感って、見た目ではわからないはずなのに、やっぱりにじみ出てくるんですよね」という。

このほか――


作品を入れている家具も



3点セットの椅子とテーブルも



柱時計も



なぜか存在するオルガンも


小屋の中にあるほとんどすべてのものが、誰かから譲り受けたものだった。

「これはご近所のおばあさんが古い家を取り壊すときに」「それは器の注文を受けたお蕎麦屋さんが店を改装するときに」「あれは修業時代に岡山の公民館の掃除を手伝ったときに」等々・・・。

よく聞いてみると、どれも元の持ち主がなんらかの事情で持て余してしまったけれど簡単には捨てられないという、思いがこもった品々ばかりだ。


「ストーリーのあるモノが好きだ」と志村さんは言う


中にあるものだけではなく、小屋そのものにも歳月の物語が刻まれている。

「元々小屋の材料は薪にするためにもらったものなんです。設計図も何もなしに、それらを組み合わせて少しずつログハウスを作っていった」そうだ。


確かにこのパッチワークのような床を見るとうなずける



小屋の扉もお寺さんからもらったもの



窓も窓本体が先にあり、それに合わせて窓枠を作った


この「初めに材料ありき」の態度は、初めに土があって、それと向き合う中で作品が生まれる作陶行為とも通じるように思われた。

いずれにせよ、ストーリーにあふれたログハウスは、かくして日々変化し増殖していく。

「でも」と、志村さんは言う。
「最後はログハウスのすべてを薪の材料にしてしまいたい。そして小屋も何もかもなくなったとき、この森に千体の埴輪だけが残る。そんな光景を想像するんです」


やはり千体埴輪は決して売り物にはしないようだ


常ににこやかな志村さんの心中に、創作家としての固い決意のようなものを感じつつ、そろそろ日が傾き始めた埴輪の森をあとにすることにした。

しげしげと作品を見つめていたうてなさんが、帰り際に椀物の器を一品購入。


お気に入りの陶器を手にしてご満悦のうてなさん



ご飯を盛るのにちょうどいい大きさだ



まもなく時光窯に別れを告げた二人を、埴輪たちもこんな風に見送ってくれた(かな?)




取材を終えて





年に一度の窯焚きもそうだが、もちろんログハウスもすべて独力ではなく、友人・知人の助けを借りて建てている。屋内にある調度品もまた、なにがしかの人との縁で今そこに存在している。

これはやはり、志村さんの人柄によるものだろう。そして、人々とのつながりに支えられながら、ストーリーに満ちた森の中で、志村さんの千体埴輪修行の物語もまだまだ長く続きそうだ。

ともあれ、まずは来年1月の窯焚きが楽しみ。うてなさんの「ガオーッ」は、どんな姿に焼き上がっているだろうか?


―終わり―


取材協力

時光窯
住所:神奈川県足柄上郡松田町庶子平田2015-5
時光陶房
住所:神奈川県南足柄市中沼562-3
https://cariocaz.com/jikogama/
https://www.facebook.com/jikogama/

うてなかよこ
https://utenakayoko.amebaownd.com/


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  • 「ぶらり途中下車の旅」で見た(*´▽`*)

  • なかなかスゴイですねーその辺に私は釣りに行ったことが有ります。

  • 取り上げていただいてありがとうございます、取材も横浜からかなり離れていたのでお疲れ様でした。所さん大変ですよ!ってタイトルの番組でチョットだけしか出ていなかったのでかなり気になっていたのですが、曹洞宗(道元)にも関わりがあったなんて偶然過ぎてこれは一日使って訪れるしかありません。コーヒーが好きなのでカップも買いにいくつもりです。

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