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横浜港「ポートトレイン」の軌跡を追う

横浜港「ポートトレイン」の軌跡を追う

ココがキニナル!

横浜港の歴史に欠かせない「ポートトレイン」。かつて入港した外国人を東京へ運び、異国へ旅立つ日本人を送り届ける夢と希望を乗せた列車は、どんな人々を運び、どんな運命を辿ったのでしょう(よこはまうまれさん)

はまれぽ調査結果!

「ポートトレイン」の誕生と軌跡は、港湾・鉄道整備の進展、海外渡航の変容、そして戦争など、横浜や日本の近・現代化と密接に結びついていた。またその痕跡は、今も身近に見ることができる。

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ライター:結城靖博


JR桜木町駅下車後、手軽に横浜の代表的観光地を見て回りたければ、東口駅前から出ている定期観光周遊バス「あかいくつ」がおすすめだ。


始発のバス停・桜木町駅前に停車中のあかいくつ


けれども健脚の方であれば、ひたすら徒歩で、時間をかけてじっくり観光名所を巡るという方法もある。

そのルートの一つが、桜木町駅からワールドポーターズへ向かい、その先に続く海沿いの赤レンガ倉庫、開港の道、山下公園を通り、中華街や元町、港の見える丘公園などへ至るというものだ。その間に食事やショッピングを交えれば、一日たっぷり横浜観光に浸ることができるだろう。


同ルートの玄関口ともいえる場所に「汽車道(きしゃみち)」がある


事情を知らなければ、「この遊歩道には、どうしてレールが敷かれているの?」と不思議に思うにちがいない。


というか、そもそもなぜ「汽車道」なのか?


今回のテーマは、実はこの道と密接に関係がある。

それを知るために、まずは「ポートトレイン」とは何か・・・、そこから見ていこう。



ポートトレインの誕生と変遷




「ポートトレイン(Port train)」は「ボートトレイン(Boat train)」とも呼ばれていた。どちらも正しいが、本稿ではキニナル投稿に合わせて「ポートトレイン(Port train)」で統一しよう。

いずれにせよ日本語では「船車連絡列車」、つまり船と連絡するために港へ乗り入れる列車のことだ。



三代広重筆浮世絵『横浜海上蒸気車鉄道之図』1871年(横浜市中央図書館所蔵)


思わず「しゅっぽっぽ~!」と声を出したくなるような上の絵だが、1859(安政6)年に開港し1872(明治5)年に品川~横浜駅(現在の桜木町駅)間を鉄道が開通して以降、横浜は生糸を中心にした海外との交易が目覚ましく発展していく。


絵葉書『輸出生糸船積状況(横浜港)』(横浜市中央図書館所蔵)


その過程で、大型船が直接埠頭に接岸できる近代的な港の整備が進み、1894(明治27)年には現在の大さん橋(おおさんばし)の前身である「西波止場(にしはとば)」が、さらにその後「新港埠頭」が完成し、大正の初め頃には現在の港の輪郭の原型が形成されていく。


1930年代の横浜港。絵葉書『YOKOHAMA HARBOUR(横浜港)』(横浜市中央図書館所蔵)


これに対して鉄道のほうは、1896(明治29)年に西波止場と税関内を結ぶ線路が開通するが、これは既設の鉄道線と連絡しておらず、やがて廃線となる。

その後1911(明治44)年に港内に開設した横浜港荷扱所と初代横浜駅(現在の桜木町駅)とをつなぐ線路が、新港埠頭が完成した1914(大正3)年に開通する。

下の絵葉書には、すでに港内に敷かれた鉄路が見える。



絵葉書『横浜港内』(横浜市中央図書館所蔵)


だがこの路線は、当初はあくまで貨物を運ぶためのものだった。とはいえ当然、海外との往来は物だけではない。人間の行き来もまた急増していく。


絵葉書『横浜港桟橋』(横浜市中央図書館所蔵)


明治半ば以降は、外国の大型貨客船に対して、日本は新興の近代国家としての威信をかけて、東洋汽船、日本郵船などの国内の船舶会社によって遠洋定期航路を精力的に開拓していく。


絵葉書『〔大横浜港〕各国の巨船常に繋留絶間なき大桟橋』(横浜市中央図書館所蔵)


当時の海外への主な玄関口は神戸港と横浜港だったが、神戸はアジア、横浜は欧米、とくにアメリカに向けて開かれた港だった。その横浜港には、ホノルル経由のサンフランシスコ航路と北回りのシアトル航路の二つの北米航路があった。

下の絵葉書は欧州航路の大型貨客船「鹿島丸(かしままる)」だが、当時の海外渡航の華やかさが臨場感を持ってうかがえる1枚だ。



絵葉書『(横浜港)海路の幸を辿る名残の紐色美しく巨船鹿島立つ岸壁の盛観』(横浜市中央図書館所蔵)


こうした中、1915(大正4)年にスイッチバック(折り返し)式から通過式に改良された2代目横浜駅が高島町に開設し、初代は桜木町駅と改称される。同時に、桜木町駅のうち貨物取扱設備だけが分離され「東横浜駅」ができる。

さらに1920(大正9)年、横浜港荷扱所が「横浜港(よこはまみなと)駅」に格上げされ、東横浜~横浜港駅間に旅客扱いの路線がようやく誕生した。

小さくて見づらいが、下の地図の上方、「岸壁」と書かれた右横にひらがなで「よこはまみなと」という文字が見える。また、左側には「さくらぎちゃう」「東横濱驛」の文字も。



1931(昭和6)年の横浜港一帯の地図(『今昔マップon the web』より)


この新たな旅客扱いの路線が生まれたことで、同年、日本郵船と東洋汽船(のちに日本郵船に吸収)のサンフランシスコ航路が出帆する日にかぎって、東京~横浜港駅間を往復する旅客列車が走ることになった。

これこそが、本稿の主役「ポートトレイン」なのだ。



横浜港駅に停車中の8620型機関車のポートトレイン(郷土出版社刊『神奈川鉄道写真集』より転載)




ポートトレインの利用客は誰か?




「ポートトレイン(Port train)」の別称「ボートトレイン(Boat train)」という音の響きからは、つい「ボートピープル」という言葉を連想してしまったりして、難民ならぬ日系移民を異国の地へ運ぶ船と連絡する列車かと思いきや・・・さにあらず。

ましてアメリカの場合、20世紀に入ってからアジア系移民に対する排外主義が高じ、1908(明治41)年に「日米紳士協定」が結ばれ日本側の自主的移民制限が、さらに1924(大正13)年には「排日移民法」により移民目的の日本人のアメリカ入国が原則禁止となる。

そのような状況下で横浜港からサンフランシスコ航路の船に乗った日本人は、いったいどんな人たちだったのか。

それは1934(昭和9)年の同航路一等船室料金を見ればわかる。「年収1,200円」と言われた当時、その金額は1,050円。これだけの高額な船賃に値する超豪華客船に乗れた日本人は、政治家、高級官僚、商社マン、医者、学者、はたまた華族か資産家か、いずれにせよ一部の富裕層だったことは確かだろう。

現在、山下公園に係留されている国の重要文化財「氷川丸」も、戦前は日本郵船のシアトル航路の貨客船として活躍していた。



山下公園のシンボルともいえる「氷川丸」


当時の遠洋航路貨客船の豪華さの一端は、一般公開されている氷川丸の船内にうかがい知ることができる。


「氷川丸」一等食堂内の展示風景


上の写真は、1937(昭和12)年に秩父宮両殿下乗船時の特別ディナーの食卓だ。しかし、戦前のサンフランシスコ航路の主要貨客船だった「浅間丸(あさままる)」でも、「世界の有名レストランやホテルで研修した料理人が最上級の食材を使って腕を振る」ったという(『就航90周年記念 客船浅間丸』展覧会図録より)。

とりわけ、両船とも船内で催された一等船客向けの「スキヤキパーティー」が、外国人客にとても好評だったという。



「氷川丸」内の展示プレート


余談ながら筆者思うに、アメリカ人の中に「日本=スキヤキ」のイメージが育つきっかけの一つに、この「おもてなし」があったのではなかろうか?


こちらは氷川丸の一等喫煙室



そして同船一等客室(ガラス越しにしか見学できない)


このほか船内には、浅間丸を例にとると、エントランスホール、社交室、読書室、ギャラリー、映写室、児童室、プール、ジム、日本座敷、さらには理髪室、銀行、郵便局、無線電話局、デパートの販売所まであったという。

つまり、横浜からのおよそ2週間の長い航海期間中、陸上生活に劣らぬ利便性を備えた施設が整っていたわけだ。

だが、このような船に乗っていたリッチな紳士淑女たちが、そのまま「ポートトレイン」の乗客だったのかといえば、実はそうではない。

もちろん、帰国・来日者の中には下船後にポートトレインで東京へ向かった人もいただろう。しかし横浜からの渡航者は、必ずしもこの列車を利用していなかった。なぜなら、当時出国のためには検診などの審査手続きにかなりの時間を要し、出帆(午後3時頃)の1~2時間前に横浜港駅に到着するポートトレインに乗っていては、乗船に間に合わない怖れがあったからだ。

それゆえ前日から横浜に投宿するか、京浜線(現・京浜東北線)の桜木町駅を利用して午前中のうちに横浜に行く人が多かったのだ。



絵葉書『〔大横浜港〕岸壁を離れし巨船浅間丸の全景』(横浜市中央図書館所蔵)


というわけで、少なくとも下りのポートトレインは、上の写真の船中にいる人々よりも、むしろ彼らの見送り客、あるいは豪華客船の華々しい出帆風景を一目見ようとする観光客に利用されていたようだ。

ちなみに東京から新橋、品川、大森の途中駅を経て横浜港までおよそ45分間、汽笛を鳴らして臨海を走るポートトレインの風情は、それ自体人気を呼んだという。



戦前のポートトレインの終焉と戦後の復活




けれども、戦時色が濃くなる1941(昭和16)年に入ると、対米航路は次々と途絶えていく。正確な記録はないが、一説ではホノルル行き最終便の浅間丸が出帆した同年7月18日が、ポートトレイン最後の運行と目されている。太平洋戦争勃発は同年12月7日。その翌年4月1日には、横浜港駅も海軍の専用駅に変わる。

サンフランシスコ航路の浅間丸は戦時中、海軍徴用船として兵員輸送に従事し、やがて米軍潜水艦の雷撃で海中に沈む。

いっぽう、シアトル航路の氷川丸も海軍に徴用され病院船として働くが、いくたびかの戦禍をくぐり抜け戦時下を生き延びる。
そして、終戦後GHQに接収され引き揚げ船として活躍したのち、主権回復後の1953(昭和28)年に、ついにシアトル航路が復活した。



「氷川丸」船内の展示ボード


その4年後の1957(昭和32)年8月28日、東京~横浜港間のポートトレインも、氷川丸のシアトル航路に連絡する目的で再開される。

しかしその期間は短く、1960(昭和35)年8月27日をもって、再生ポートトレインの運行は早くも終了。なぜならこの日が、氷川丸にとっても最後の出帆の時だったからだ。

戦前・戦中・戦後と長く活躍し老朽化した氷川丸の航海の終焉は、海外渡航が航空機時代へと突入する象徴的な事象でもあった。横浜市民が強く望む保存の声を受けて、翌年氷川丸は山下公園に係留され現在に至る。



絵葉書『山下公園と氷川丸』(横浜市中央図書館所蔵)


また、ポートトレインの終着点「横浜港駅」はその後も貨物駅として存続し、1970(昭和45)年には、鶴見~高島間の高島線電化記念として最後の蒸気列車が東京~横浜港間を3日間だけ走行したこともあった。

だが、1982(昭和57)年に「横浜港信号場」に降格し、それも4年後には港へ通じる路線とともに廃止された。



今も残る「ポートトレイン」の痕跡




1989(平成元)年3月から10月まで、みなとみらい21地区で191日間に及ぶ「横浜博覧会」が開催された。そして博覧会終了後、同地区を中心にした横浜臨海エリアの再開発が一気に進み、新たな商業施設、観光施設が今日まで生まれ続けている。



「日本丸」付近から博覧会会場跡地の「よこはまコスモワールド」方面を望む


その一つが、本稿冒頭に紹介した「汽車道」だ。


起点近くの北仲橋(きたなかばし)からの汽車道全景


そしてこの路面に敷かれたレールこそ、ここまで綴ってきたポートラインの軌道の一部なのだ。


汽車道のレール


大岡川河口上のこの歴史的鉄路築堤の整備は1997(平成9)年に行われ、7月19日に「汽車道」の名称で一般公開となった。

築堤には3つの橋梁がかかっているが、それらも修復復元されたものであり、護岸とともに市の歴史的建造物に認定されている。



もっとも桜木町寄りの1号橋梁



2号橋梁を渡ると運河パークがある



左手には運河越しに「ワールドポーターズ」が見える



さらに進むと「ナビオス横浜」が凱旋門のごとくそびえ



そこを潜ると万国橋の交差点に至る


万国橋交差点の手前で、レールは一旦途絶える。だが、かつては斜め右に見える赤レンガ倉庫の方向へ鉄路は続いていた。


(『今昔マップon the web』より)


上は1931(昭和6)年と現在を比較した地図。赤丸で囲った場所を照らし合わせるとポートトレインの経路がわかるだろう。

実はポートトレインの終着駅「横浜港」は、本屋(ほんおく)の駅舎と旅客用プラットホームが離れていて、本屋は万国橋付近にあったという。

種々の資料から推測すると、本屋は現在の赤レンガパーク前を走る国際大通りの緑地帯付近にあった可能性がある。



円形歩道橋「新港サークルウォーク」橋上からその付近を望む



線路は赤レンガ倉庫2号館手前を左にカーブしてプラットホームへと続いていた



そのレールは今も残されている。軌道を辿っていくと・・・



それらしきものが見えてきた



これぞ横浜港駅の旅客用プラットホームだ


このプラットホームは、汽車道が整備される前年の1996(平成8)年に復元されたものだ。その際ホームは短くカットされ、Y字型の屋根は新製された。


だがホームには一世紀にわたる歴史の重みを感じる


プラットホーム背後の「海上保安資料館横浜館」一帯は、かつて全長170メートルにもおよぶ巨大な上屋(うわや)だった。通常、上屋は貨物の積み下ろしや保管のための場所だが、ここには2階に旅客待合室、食堂、貴賓室などもあったという。


海上保安資料館横浜館


また、赤レンガ倉庫2号館を挟んで右手には「新港橋(しんこうばし)」を渡って大さん橋、山下公園方面へ山下埠頭貨物線が分岐していた。


その線路も現在、新港橋から続いている


かつて山下公園の前を横切っていた貨物高架線は2000(平成12)年に撤去され、赤レンガ倉庫から山下公園までの線路跡地は2年後に「山下臨港線プロムナード『開港の道』」として整備された。今では、みなとみらい地区と中華街・元町などの昔ながらの観光地をつなぐ人気スポットだ。


山下公園側から望む「開港の道」


遊歩道の高架下には、「象の鼻パーク」整備工事中に発見された明治期に作られた鉄軌道と転車台も保存されている。


地中に埋められたままの実物展示(左)と、そばにある解説板の写真(右)


これもまたポートトレインと同じく、かつての臨港鉄道の痕跡といえるだろう。



ポートトレインが空中によみがえる?




「汽車道」の起点から、海側ではなく反対の陸側を望むと、目の前のみなとみらい大通りの向こうに桜木町駅がすぐ近くに見える。



赤い囲みが桜木町駅。だが、この青い囲みは何だ?



それはクレーンが鎌首をもたげている駅前に来ればわかる


今、桜木町駅東口前では、とある工事が進行中だ。


それはこれ(工事現場パーテーションに掲げられたポスター)


そう、来春完成を目指して「日本初の都市型ロープウェイ」の建設中なのだ。

これについては、すでにくわしく記事にまとめているので、ぜひそちらをご覧いただきたい。ただ、「ポートトレイン」を取材していた筆者としては、この現場を見て奇妙な気持ちになった。



ロープウェイの桜木町駅側の乗り場はJR駅東口を出たところ


いっぽう、かつて桜木町駅(初代横浜駅)から貨物専用駅として分離し横浜港駅までつながった「東横浜駅」も、古い地図で見ると桜木町駅の東側すぐ隣りだ。

つまり、建設中のロープウェイの駅は、旧・東横浜駅とほぼ同じ位置にあるのではないだろうか?



しかも新駅の先端は、旧・横浜港駅方向をまっすぐ指差している


今生まれつつあるロープウェイと過去の横浜港駅との位置関係を地図で示すと、次のようになる。


© OpenStreetMap contributors)


すでに書いたように、横浜港駅が旅客用の駅になりポートトレインが運行を始めたのが1920(大正9)年。それから100年後の今、まるでポートトレインの軌道の一部が、再び観光客を港へ運ぶために空中によみがえろうとしているかのようではないか!

そんな妄想を抱きつつ、ロープウェイの建設現場をあとする筆者だった。




取材を終えて




「ポートトレイン」とは直接関係ないので本文では触れなかったが、昨年2019(令和元)年10月に「新港ふ頭客船ターミナル 横浜ハンマーヘッド」が赤レンガパークの左隣りに完成した。



客船ターミナル、高級ホテル、商業施設を備えた複合施設「ハンマーヘッド」



ここから望む海の景色も美しい


ここもまた、明治・大正期の横浜の港湾整備の延長線上にあり、開港期からの歴史の流れとつながっている。

新しい何かが生まれる時、その背景を探っていくと、しばしば忘れかけていた過去の記憶が地の底で共鳴したかのように浮かび上がってくる。しかもかなり鮮明な形で。

そこが、近代になって形成されたからこその、横浜という都市の面白さの一つかもしれない。


―終わり―


編集協力

横浜市中央図書館
住所/横浜市西区老松町1
電話/045-262-0050
開館時間/火~金9:30~20:30、その他9:30~17:00
https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/kyodo-manabi/library/tshokan/central/

時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」
埼玉大学教育学部 谷謙二・人文地理学研究室
http://ktgis.net/kjmapw/



参考資料

・『図説 横浜の歴史』「海外航路と港湾整備」小風秀雅執筆、横浜市市民局市民情報室広報センター発行(1989年4月刊)
・『レイル №27』「横濱臨港線の軌跡」長谷川弘和執筆、エリエイ出版部発行(1990年4月刊)
・『懐かしのアルバム 神奈川鉄道写真集』原田勝正監修、岩田武編著、郷土出版社発行(1993年3月刊)
・『JTBキャンブックス 横浜の鉄道物語』長谷川弘和著、JTBパブリッシング発行(2004年11月刊)
・『開港150周年記念 横浜 歴史と文化』「港湾都市の基盤整備」高村直助執筆、横浜市ふるさと歴史財団編、有隣堂発行(2009年6月刊)
・『「地図」で探る横浜の鉄道』横浜都市発展記念館編集・発行(2011年3月刊)
・『鉄道ピクトリアル』「横浜の臨港鉄道盛衰史」澤内一晃執筆、鉄道図書刊行会発行(2013年5月号)
・『就航90周年記念 客船浅間丸』展覧会図録、日本郵船歴史博物館発行(2019年10月刊)
・「旧横浜港駅プラットホーム」東京湾観光情報局ホームページ
https://tokyo-bay.biz/pref-kanagawa/city-yokohama/kn0344/



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  • 山下公園に沿ったの高架は貨物車が通っていたのを思い出す。

  • よこはまうまれです。詳細まで調べていただきありがとうございます!横浜港が日本を代表する国際港であることを改めて誇りに思いますね。ポートトレインは昭和34年にアメリカ公演に向かう宝塚歌劇団を横浜港に送り届けたそうです。見送りの乗客も加わって長大編成の列車になったそうな。日本を代表するエンターテイメントをアメリカに届ける。華やかで夢のある良い時代だったんですね。

  • 横浜博の開催中だけ運行を再開していたので、桜木町から山下公園まで乗りました。汽車道や赤レンガ倉庫脇、山下公園の高架上を走るので、そのまま継続して走らせてくれれば良いのになと思っていましたが廃線になってしまい残念です…

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