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横浜に根ざした舞台を中心に活動する、五大路子さんを徹底解剖!
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みんなのキニナル

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横浜のココがキニナル!

2013年に退団した元横浜DeNAベイスターズ選手、内藤雄太さんのセカンドキャリアとは?(はまれぽ編集部のキニナル)

はまれぽ調査結果

退団後、スポーツ用品店に就職したのち、カシマヤ製作所に転職。プロ野球選手にバッティンググローブの営業をするなど野球に携わる仕事をしている

ライター:山口 愛愛 (2017年09月28日)

危うく、信号を見落とすところだった。ハンドルを握り、新横浜を走っていたときに電話がなった。携帯電話のスピーカーから信じられない声が響く。「明日、球団事務所にくるように」

プロ野球選手が10月末にこの言葉を聞いたのなら、ほぼ間違いなく戦力外通告だ。しかしこの日、中畑清(なかはた・きよし)監督から「春のキャンプは1軍に呼ぶつもりだからがんばれよ」と声をかけられたばかりだった。

混乱と動揺。一瞬頭が真っ白になり、赤信号を見落とすところだった。急ブレーキをかけて止まり、最大限に良い方へ考え「いや、トレードかもしれない」と自分に言い聞かせ、家族の待つ家を目指したのだった・・・。

 

今回の主役は内藤雄太さん(33歳)
 

29歳だった当時の様子を赤裸々に語ってくれたのは、元横浜DeNAベイスターズ選手の内藤雄太(ないとう・ゆうた)さん。指揮官も知らなかったという電撃的な戦力外通告から引退となり早4年。

33歳になった今、選手とは違う形で野球に関わり、横浜スタジアムにも足を運ぶことがある。今も野球に寄り添う内藤さんの思いを聞きに、東京都浅草橋にある勤務先の株式会社カシマヤ製作所を訪れた。

 

玩具メーカー、カシマヤ製作所さんにおじゃました
 



同級生の影響で入ったクラブチームで活躍

「あ、かっこいいエピソードを話した方がいいですよねぇ」。取材の途中、そう言って笑う内藤さん。現役時代と変わらずサービス精神が旺盛で、ファンが楽しめるようなおもしろエピソードばかりをつい話してしまう。そんな内藤さんに現在に至るまでの野球人生の軌跡を辿ってもらった。

内藤さんは横須賀市に生まれ、幼馴染と小学校1年生から町内のソフトボールチームに入ったことが野球選手としての原点。その幼馴染とバッテリーを組み、キャッチャーとして関東大会の優勝に貢献したが、全国大会を目指した試合で自分のパスボールにより負けてしまう。「父親にひどく怒られたし、悲惨だった」という苦い記憶だが、小学生のころにはベイスターズにつながる良き思い出もある。

 

低学年のころは内野手で3年生からキャッチャー
 

横浜スタジアムにベイスターズの応援に行ったときのこと。練習中の佐伯貴弘(さえき・たかひろ)選手に「佐伯、きょう打ってよ!」と声をかけると、「“さん”つけろ、“打ってください”やろ!」と注意されながらも「代打で出たら、打つから見ておけ!」といわれた。その日、代打で登場した佐伯選手が本当にフェンス直撃のタイムリーツーベースを放ち「超盛り上がって嬉しかった」という。

プロ野球の華々しさに魅せられた内藤少年だが「まさか、ベイスターズに入団して一緒に野球をやれるなんて思わなかった」と懐かしそうに話す。

 

佐伯さんはじめ、しつこく選手をやじるようなクソガキでした(笑)
 

中学生になると両親に背中を押され、名門のクラブチーム「横須賀スターズ」へ入部。3年生の時の新チームで、ようやくレギュラーとなり、台湾遠征の親善試合で突然3番に抜擢された。チームメイトからはブーイングされたが、その試合をきっかけに面白いように打てるようになったという。

 

横須賀スターズの先輩にはタレントの上地雄介(かみじ・ゆうすけ)さんがいる
 

当時のバッテリーには十数校からスカウトがきていて、お披露目するシートバッティングでの投球の時に、打席に立った内藤さんは注目の投手からいい当たりを放ち、横浜商工高校(現、横浜創学館)の森田監督の目に止まり、入学につながった。

実は中学3年生の夏まで「高校野球の存在を知らなかったんですよ」と恥ずかしそうに笑う内藤さん。幼い時にテレビで高校生の甲子園大会を見たな・・・という記憶がある程度だった。神奈川県大会の準決勝の放送で横浜高校の松坂大輔(まつざか・だいすけ)さんらが活躍している姿を見て「そうか、高校野球があるのか」とそこで本格的に野球を続けられることを実感したというから意外だ。



東北大学リーグ三冠王がベイスターズへ

横浜商工時代は2学年上に石井裕也(いしい・ゆうや〈現日本ハムファイターズ〉)投手がおり、先輩方に面倒を見てもらいながら65kgの細身を75kgに増やした。強豪校でありながら、野球部の専用グランドがなく「ノックもまともにできず、あんな環境でよく勝てたな」と振り返る。

 

高校時代はこのグラウンドで練習していた
 

監督とコーチに毎日バッティングを見てもらい、朝や午後の練習前にティーバッティングをボールケース5箱分打つなど、自主練習をやらせてもらったことを今でも感謝しているという。

 

当時、横浜高校の後藤選手(左)や小池コーチらの活躍に魅せられた
 

高校卒業後は石井さんを追いかけ社会人野球の三菱重工へ進みたかったが、クラブチームに変わってしまったことから、一般就職を決意。その思いを両親に告げた夜、青森県の八戸大学からスカウトの話があると連絡をもらい、気持ちは一転した。

この時から流れに乗った形で野球を続けた内藤さんは、後に東北大学リーグの三冠王となり、2005(平成17)年には日米大学野球選手権でも首位打者になるまでに成長する。しかし、輝かしい実績とは裏腹にその道のりは険しいものだった。

 

大学でも日本代表でもクリーンアップを打ち活躍
 

大学2年生の時にまったく打てなくなり、肩まで故障してしまった。横浜で入院し、リハビリを乗り越えるも思うように回復せず、チームは秋のリーグ戦の初戦で勝利するも苦戦した。コーチから「おまえ1人いなくなっただけでこれだけ点が取れないんだぞ」と厳しい言葉を掛けられ、完治しないままDH(指名打者)で試合に出場することになる。

「入院して10kgも太ってしまって。でも、その分考える時間はありました。そのころ松井秀喜(まつい・ひでき)さんが、力が伝わる下半身の使い方について話していて、いろいろなバッティング理論を取り入れたら、急に打てるようになったんです」と内藤さん。

体重が増えたことでパワーもつき逆方向へのホームランが増えたという。

 

テレビで試合を見ながら、プロ野球選手のバッティング理論を参考にしていた
 

ケガの功名で転機が訪れ、4年生の時には全日本大学選手権で、ドラフトの目玉だった創価大学の八木智哉(やぎ・ともや〈現中日ドラゴンズ〉)投手からホームランを放つ。さらに評価はうなぎ上りになり、こうして2005(平成17)年に横浜ベイスターズのドラフト3巡目で指名され、プロ野球選手として地元に帰ってくることができたのだった。



今では笑い話の下積み時代

しかし、プロの世界は甘くなかった。ベイスターズに入団すると、金城龍彦(きんじょう・たつひこ)さん、多村仁志(たむら・ひとし)さんなど実力のある外野手で溢れており「これじゃ、プロでやっていけない」とこぼしてしまったという。

青山道雄(あおやま・みちお)コーチらに「そんな気持ちなら辞めろ! 本気でやりたいなら練習に付き合うから守備練習や体力作りをしろ」と喝を入れられ、それから毎日、早出や居残りをして練習に明け暮れた。

「内野の方がチャンスがある」と聞けば、内野の守備にも挑戦しショート以外はすべてこなした。

 

キャッチャーの準備をしていたことまである
 

内藤さんに節目の試合のエピソードを伺ってみると、どれもおもしろい。

初スタメンは、ルーキーイヤー2006(平成18)年6月の東北楽天戦。多村仁志さんの怪我により、急きょ1軍に呼ばれ、横須賀市長浦の合宿所から1人で仙台のフルキャストスタジアム宮城(当時)に向かった。

「新幹線の指定席も自由席も空いてなかったので立ち乗りで行ったんですよ。着いたときにはクタクタ(笑)。1軍はグリーン車に乗れることを知らなかったんです」と苦笑い。

 

急きょ、立ち乗りで向かった仙台だが、3打席で交代のほろ苦いデビュー(フリー画像より)
 

翌日には初ヒットを放つ。「佐伯さんが『俺のバット使ってみるか』といってくださり(笑)、重たいバットを短く持ってサードゴロ。必死に走ってヘッドスライディングして内野安打でした」と笑う。

ひたむきで泥臭い内藤さんを象徴するかのような初ヒットだと思うが、「次の藤田一也(ふじた・かずや)さんのバントの小フライで飛び出してゲッツー。めちゃめちゃ怒られて登録抹消。1日半の一軍でした(笑)」と当時を振り返った。

 

その日は村田修一(むらた・しゅういち)選手のサヨナラホームランで勝ったが個人では苦い思い出
 

初ホームランとなると、それから3年後になる。ヤクルト戦で八戸大学の先輩、川島亮(かわしま・りょう)さんからのホームラン。
駒田徳広(こまだ・のりひろ)コーチから「あの落ちる球は普通に打っても打てないぞ。自分で考えてみろ」といわれ、普段より1足分前に立ち、落ち切る前のフォークを狙って打った。状況を考えたバッティングができる内藤さんらしい1発だった。
 
 
一番の思い出は開幕戦のサヨナラヒット!・・・キニナル続きは次のページ!!≫
 

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