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「吉田新田」を開墾した吉田勘兵衛ってどんな人?

ココがキニナル!

吉田新田を開墾した「吉田勘兵衛」は「よこはまの歴史」で必ず習う横浜で偉大な人物ですが、顔写真や錦絵などの資料は残っていないのでしょうか?どのような方なのか気になります。(おかちゃんさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

12代目吉田勘兵衛氏に確認したところ、肖像画などは残ってないそうです。初代の人柄については、商才にたけた信心深い方だったとのこと。

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ライター:河野 哲弥

今年は、初代吉田勘兵衛 生誕400年



市営地下鉄ブルーライン吉野町駅の北側、日枝小学校の裏手に南吉田町がある。
一方、JR根岸線大岡川が交わる近くでは、吉田町という町名が確認できる。

南吉田町を上とし吉田町を下にすると、「釣り鐘」のような地形が現われる。
これが、吉田勘兵衛が1656年から埋め立てを開始した「野毛新田」である(後に4代将軍徳川家綱が「吉田新田」と改称)。

広さ約115万㎡に及ぶこの一帯は、今ではさまざまな町名に塗り替えられている。
このため南吉田町と吉田町は、一見何の脈絡もなく存在しているかのように思える。

しかし、この広大な土地がもとは吉田勘兵衛一個人の私有地であったことを、この両町名は物語っている。
 


現在の吉田新田と両町の位置 (常清寺提供資料に、町名を加筆)


吉田勘兵衛は、1611年に摂津の国(今の大阪府) で生まれた。
つまり、今年でちょうど生誕400年となる。

これを記念して24日、南区にある常清寺で法要が開かれるという。

さっそく常清寺のご住職に連絡を取ると、現12代目吉田勘兵衛(本名: 貞一郎) 氏も出席なさるそうだ。
質問にあった件を含め取材したい旨を申し出ると、法要の合間なら受けていただけるとのこと。

早速、同寺を訪ねてみた。



記念すべき慶讃(きょうさん)法要は、約1時間に渡り行われた



常清寺は「吉田新田」着工から20年後の1676年、吉田勘兵衛により、その達成を感謝し建立された。
以後、明治になるまで、吉田家のみを弔う菩提寺であったとのこと。

一方その本人は、常清寺と道を挟んだ久保山墓地に眠っている。この辺は馬の背のようになっており、北に横浜市街地を望み、南に「吉田新田」を眺める絶好の地となっていた。
 


常清寺の脇道から、吉田新田方面を望む
 

榮玉山常清寺入り口の様子 (写真は吉田家と同寺の了承済み、以下同)

 

奥に並ぶ、吉田家の方々


本来であればこの日、かつて長者町にあった旧吉田邸の近くに、記念碑が建てられる手はずとなっていた。しかし、一族の経営する企業人事に大きな異動があったことなどにより、碑の完成は延期。本法要のみとなった。
 


吉田家の繁栄を祈祷する、片山住職