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三崎の海南神社が作ったパロディーっぽい「解難」お守りってなに?

ココがキニナル!

三崎港にある海南神社のお守りには海南神社の文字に「解難」、大漁旗のデザインに「大漁得点」と書いてあり、受験用のお守りだそう。何かパロディーっぽいので、調べてもらえませんか?(横浜の美食家さん)

はまれぽ調査結果!

ご利益は受験だけにあらず。資格試験、企業の昇給試験、プロのアスリートまで、結果を出したい人がご利益を期待していただくお守りだった

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ライター:やまだ ひさえ

平安時代前期、清和(せいわ)天皇(在位858〈天安2〉~876〈貞観18〉年)の治世、皇位継承争いが勃発した。
 


わずか9歳で即位(Wikimedia Commons)
 

関係者の1人である伴大納言善男(ばんだいなごん・よしお)の目論見に加担しなかったとして事実とは違う情報を流されて、左遷になった貴族がいた。藤原資盈(ふじわらのすけみつ)である。

864(貞観6)年、資盈は任地の筑紫国(ちくしのくに=現在の福岡県)に赴く途中、暴風に遭い漂流。流れ着いたのが、現在の三崎だった。
 


三崎のどこに漂着したかは不明だ
 

その後、資盈は当地の長に推薦され、房総の海賊を平定。さらに里人に漁業の知恵を授けるなど地元のために尽力した。

里人からの尊敬の念も篤く、866(貞観8)年、資盈が亡くなると亡骸を海に沈め、花暮(はなぐれ)海岸に祠を建立し、その徳を祀った。
 


現在は花暮岸壁と呼ばれている
 

982(天元5)年、新たに社殿を造営、三浦一帯の総社となったのが「海南神社」だ。
 


海南神社
 

その海南神社で、お守りのことを宮司の米田郷海(よねだ・さとみ)さんに聞いた。
 


2017年元日から頒布された新しいお守りを持っての登場
 

境内でお話を伺おうと思ったら、今回のお守りの提案者のお一人である倉橋隆行(くらはし・たかゆき)さんがいらしたので、同席してもらうことにした。
 


左が倉橋さん
 

倉橋さんは不動産コンサルタントとして三崎の街の活性化に努めている。

はまれぽでも紹介したゲストハウスの「山田屋」手打ちそばの店「葉山商店」のオーナーでもある。
 


昭和初期に建てられた店舗をゲストハウスにした山田屋
 


もともと船具や漁具を扱う商店だった
 

倉橋さんの三崎での街づくりのコンセプトが、「歴史的価値を残しながら現代流にアレンジを加える」というもの。

その考え方が宮司の米田さんの考えとマッチング。新しいお守りの誕生となった。