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Question みんなのキニナル投稿

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みんなのキニナル

    周辺の建物,施設が次々取り壊されていく中、ポツンと残るみなとみらいのファミレス、ジョナサン。何故、ジョナサンだけ残っているの?周辺施設が無くなっていく中、営業は成り立っているの?

    たけし♪さん

    またまた発生した自転車による死亡事故。横浜市鶴見区に続いて川崎市麻生区でも! それもマナー遵守での事故ではなくスマホ不適切使用や無謀な運転が原因で。昨今全く取締りを放棄している神奈川県警は責任も放棄?...

    よこはまいちばんさん

    白幡防犯。白幡地区にはとんでもない書の達人がいるようです。画像は公園に設置されたはりがみ看板ですが達筆すぎます。地区にはまだまだ多数の「作品」があります。ぜひとも筆主を探し出してレポートしていただきた...

    こうかいさん

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横浜のココがキニナル!

横須賀市民から「英雄」とされるデッカー。米軍横須賀基地司令官として軍務そっちのけで市民救済に注力。学校や病院建設のために占領地を返還。目標は「日本一の都市・横須賀」だった(栄区かまくらさん)

はまれぽ調査結果

ベントン・W・デッカーは4代目の司令官として米海軍横須賀基地に着任。経済、医療、教育、婦人の地位向上など横須賀の再建と民主化に尽力

ライター:やまだ ひさえ (2017年03月26日)

横須賀市の高台にある中央公園の中に1体の胸像がある。
 


横須賀市深田台にある中央公園
 


デッカー指令長官という名前が刻まれている
 

台座には興味深い一文が刻まれている。

「横須賀市再建の恩人ベントン・W・デッカー司令長官」
 


「再建の恩人」の意味するものは?
 

台座に付けられているプレートによると、胸像は1949(昭和24)年に横須賀市役所前の公園に設置された。

しかし、同公園に地下駐車場を設置することになり、1995(平成7)年10月、現在の地に移設されたとなっている。
 


横須賀の街と海を見守るように立つ像
 

移転させてまで残したかったデッカー司令官の胸像。

「横須賀市再建の恩人」の意味を追ってみた。



『黒船の再来』に込められた思い

デッカー司令官とはどういう人物なのか。インターネットで調べてみると、彼の回想記である『黒船の再来』が出版されていることが分かった。
 


回想記の発刊を伝えるホームページ
 

同著はデッカー司令官と奥様のエドウィーナ夫人による共著。夫人が残しておいたデッカー司令官の膨大な書簡やメモをもとに、退役後に書かれたものだ。

600ページを超える日本語版の翻訳を行った「横須賀学の会」の代表の大橋祥宏(おおはし・よしひろ)さんにお話を伺った。
 


「横須賀学の会」の大橋さん
 

大橋さんは小学校4年生で終戦を迎えた戦中派世代。デッカー司令官と直接の面識はないが、彼の功績の恩恵は受けたという。

大橋さんによると『黒船の再来』は、デッカー司令官が米海軍横須賀基地に着任していた4年間を回想した記録書で、1978(昭和53)年、アメリカで出版されたのち、日本の行政や企業などに贈られたとのことだ。しかし、一般には、本の存在そのものが知られていなかった。
 


一般に知られることがなかった回想録
 

正直、横須賀が地元の筆者もこの本を知らなかったし、デッカー司令官という人物自体を知らなかった。著者に親(ちかし)い横須賀市民に聞いても、第二次世界大戦が歴史の教科書の中のものになった世代の多くがデッカー司令官を知らなかった。

「横須賀市再建の恩人」であるはずなのに、世間に知られていないというギャップはどうして生まれたのか。疑問は多い。



軍都・横須賀の終焉

1945(昭和20)年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾。第二次世界大戦の敗戦が決まった。

連合国軍は、軍都として重要な位置を占めていた横須賀への進駐を決定。しかし、安全に占領できる保証はなかった。
 


横須賀上陸計画が練られていた(『占領下の横須賀』横須賀市刊より)
 

連合国軍は、相模湾に面した逗子海岸に上陸、同海岸を制圧したのち陸路で追浜(おっぱま)飛行場を制圧

さらに南下し海軍工廠一帯を占領する計画が立案されたが、移動距離が長く危険を伴うとのことで中止され、浦賀(うらが)水道から横須賀に上陸するルートに切り替えられた。
 


東京湾を進む米英艦隊(同)
 

1945年8月30日、上陸作戦が決行された。

同日午前8時29分、横須賀海兵団南側海岸で、1分後の8時30分には追浜飛行場東浜で上陸を開始。関係施設を次々に接収していった。
 


横須賀海兵団南側海岸に上陸する連合国(同)
 

上陸部隊の進駐が進むなか、横須賀海軍基地の引き渡しを行うために、基地内の小海(こかい)岸壁に米軍の第31任務部隊旗艦「サンディエゴ」が着岸した。
 


横付けされた旗艦「サンディエゴ」(同)
 


横須賀海軍基地の引渡し(同)
 

終戦のわずか3ヶ月前に横須賀鎮守府長官に就任した戸塚道太郎(とづか・みちたろう)によって「横須賀港引渡書」が連合軍に手渡された瞬間、横須賀造船所開設以来約80年に渡る、横須賀における日本陸海軍の歴史に幕が落された。
 


基地内に星条旗が掲げられた(同)
 

横須賀鎮守府の庁舎は米軍に接収され、米海軍横須賀基地の司令部として新たなスタートを切ることになった。
 


司令部となった旧横須賀鎮守府(同)
 

初代司令官に就任したのは、上陸部隊司令官でもあったオスカー・C・バジャー少将。
 


写真左が庁舎内を視察するバジャー少将(同)
 

終戦当時の横須賀基地は、小型ボートやタグボートが海中で朽ち、焼けただれたトラックが路肩に何台も埋もれ、使われなくなった建物が点在し、衛生状態も劣悪だった。
 


打ち捨てられた
特攻兵器「震洋」(同)
 

結果、バジャー初代司令官、オリバー・O・ケッシング2代目司令官、ハロルド・M・ブリッグス3代目司令官の出した結論が横須賀基地不要論。「基地を爆破し、全員をアメリカに帰還させろ」というものだった。

それに真向から異を唱えたのが、1946(昭和21)年4月3日に就任した4代目司令官ベントン・ウィーバー・デッカー大佐だった。
 


横須賀基地の重要性に着目していた
 


デッカー司令官と新たな横須賀・・・キニナル続きは次のページ
 

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